株)万松楼 民事再生開始申立 / 負債総額 約31億円(2016年02月09日 |
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公開日:2006.01.31
(株)万松楼 民事再生開始申立 / 負債総額 約31億円
〜伊藤博文首相が命名〜
(株)万松楼(佐世保市谷郷町5−32、設立は1932(昭和7)年5月、資本金1,000万円。
望月太一社長)は2016年1月30日、大阪地裁に民事再生手続開始を申し立て同日保全命令を受けた。債権者説明会を2月2日午後2時より「JAさせぼホール」(佐世保市松浦町)で開催予定。申立代理人は四宮章夫弁護望士ほか(大阪市中央区北浜3−6−13、電話06−6202−4776)。負債は約31億円が見込まれる。
万松楼は1893(明治26)年に割烹旅館として創業、1932(昭和7)年5月に法人化した老舗のホテル経営会社。1896(明治29)年、伊藤博文首相が台湾視察の帰途に休息した際に同旅館を「萬松楼」と命名、以来、軍人、政治家、文化人が多数訪れた旅館として知られる。
2003(平成15)年5月期には年商が約8億6,000円あったが、2005(平成17)年5月期は年商が約7億1,300万円に減少して業績が悪化した。
2006(平成18)年に約31億円の負債を抱えて民事再生法の適用を申請。ファンド会社がスポンサーとなり、経営再建を進めていた。
2011(平成23)年から現経営陣が経営してきたが、2015年末に競争激化などで経営が悪化。2016年1月からはポンプ故障を理由に温泉施設の営業を停止していた。
現在の「ホテル万松楼」は、和室59室、洋室5室、和洋室3室、スィートルーム1室、露天風呂、家族風呂、宴会場、レストランなどを完備。
しかし、レストランや別館の改装、温泉施設の開業など積極的に設備投資を実施したことから借入が膨らんでいたうえ、修学旅行生の宿泊減少などで現状での自力再建は困難として民事再生による再建を選択した。
現在,公共料金の未払いで電気、ガス、水道の供給が止まっており、経営者は「客を受け入れられない状態にある。伝統ある万松楼の看板を残すため、自力再建が困難な場合は売却も考える」としている。
帝国データバンクク 2016年2月1日(月)11時44分配信 最終更新
昭和天皇をはじめ皇族方が宿泊した実績もある国際観光ホテルを運営している旗松亭、民事再生へ
(有)旗松亭(資本金3,700万円、長崎県平戸市大久保町2520、代表木下隆靖氏、従業員53名)は2016年1月29日、長崎地裁佐世保支部へ民事再生法の適用を申請し、同日保全命令を受けた。
申請代理人は吉岡隆典弁護士(福岡県福岡市中央区警固2-18-7、けやき通り法律事務所、電話092-712-0266)。監督委員には山元昭則弁護士(長崎県佐世保市高天町6-3、佐世保総合法律事務所、電話0956-22-0436)が選任されている。
当社は1949(昭和24)年に映画館の経営を目的に創業。1957年に旅館「米乃屋」を開業し、69年(昭和44年)2月に法人改組、同年8月に国際観光ホテル「旗松亭(きしょうてい)」をオープンした。ホテルは平戸港の高台に立地し、当初33室だった客室数は増築・改装により現在は客室数90室にまで拡張。客室のほか、食事処、大宴会場、屋上露天風呂やパノラマ展望大浴場を擁し、昭和天皇をはじめとする皇族が宿泊した実績もある平戸地区トップクラスの規模を誇るホテルとして知られ、修学旅行などの団体客や一般観光客を集客、2002年1月期には年収入高約11億6500万円を計上した。
しかし、その後は、九州地区を訪れる修学旅行客などの減少に加え、景気低迷の影響で一般観光客の利用が減少し、客室稼働率が低迷。施設の増築・改装などを金融機関からの借入金で賄ってきたことから資金繰りが悪化するなか、2010年3月には金融機関からの借入金が債権回収会社(サービサー)に売却された。その後、給与体系変更や従業員のパート化などで経費を切り詰める一方、一般観光客の取り込みにより立て直しを図っていたが、大幅な欠損計上が続き、2015年1月期には年収入高は約5億8200万円にまでダウン。宿泊客減少に歯止めがかからず、収益改善の見通しが立たないことから、自主再建を断念した。
負債は現在精査中だが、約22億円が見込まれる。
なお、ホテルは現在も営業を続けている。2月2日11時から平戸文化ホール(平戸市岩の上町1529)で債権者説明会が開催される予定。
※代表木下隆靖氏の「隆」は旧字