ホテルたなか情報(2010年09月10日) |
和倉温泉の論文を書いたにもかかわらず、この情報を知らず、なんていうことだ。
以下、防備録です。
2007年12月17日付・東京商工リサーチ倒産情報です。
(株)ホテルたなか [石川] 温泉旅館経営
民事再生開始申立 / 負債総額 約47億円
〜老舗旅館「ホテルたな嘉」を運営〜
TSR企業コード:58-002071-1
(株)ホテルたなか(七尾市和倉町ヨ96、設立昭和41年1月、資本金1000万円、田中邦義代表)は12月17日、金沢地裁に民事再生手続開始を申し立て、同日保全命令を受けた。なお、営業は継続中。
申立代理人は若杉洋一弁護士(大阪市北区堂島1−1−5、弁護士法人大江橋法律事務所、電話06−6341−7437)ほか3名。
監督委員には野田政仁弁護士(金沢市兼六元町3−14、野田政仁法律事務所、電話076−232−0064)が選任されている。負債は約47億円。
ホテルたなかは、安政3年(1856年)の湯治宿長助旅館が起源とされる、和倉温泉の老舗温泉旅館「ホテルたな嘉」の経営会社で、昭和41年1月に法人化した。60年2月(有)和倉荘を買収し、平成6年9月には新館「花舞季」(15階建て、延べ約9300平米、客室84室、収容人数は550名)をグランドオープンした。新館には大小宴会場、コンベンションホール、会議室、パブリックゾーンなどを完備し、七尾湾に沈む夕日を臨む男女大浴場などを売りとし、平成8年3月期には年商約19億3800万円をあげていた。
しかし、その後は長引く景気低迷に加えて、阪神大震災の発生やロシアタンカーによる日本海重油汚染などを背景に業績は悪化。このため、新館に対する多額の投資負担が重荷となり収益を圧迫、資金繰りは徐々に厳しさを増していった。この間の14年から15年にかけては大河ドラマの放映により当地への観光客が増加し売上回復の兆しを見せたが、その後の愛知万博の開催や記録的な大雪などが集客面に悪影響を及ぼし、19年3月期には年商が約6億5600万円にまで落ち込み、赤字幅は2億8000万円に達していた。
19年3月に発生した能登半島地震も追い打ちをかけ、大幅な集客力の減少を招いたばかりか、その後の風評被害などにより厳しい営業環境が続くなか、過去の負債を整理し経営再建を図りたいとして今回の措置となった。
【12月18日03時54分更新】
■ 石川のニュース
◎「たな嘉」民事再生手続き 七尾・和倉温泉 負債47億円 営業は継続
七尾市和倉温泉の老舗旅館「ホテルたな嘉」を運営するホテルたなか(同市和倉町、田中邦義代表)は十七日、金沢地裁に民事再生手続きの開始を申し立て、財産保全命令を受けた。営業は継続しており、申立代理人の弁護士によると、現段階では現経営陣の下、スポンサー企業を募り、事業の再生を目指す予定である。東京商工リサーチ、帝国データバンクの両金沢支店によると、負債総額は約四十七億円が見込まれる。
申立代理人によると、一九九五(平成七)年に来客者は約十万人、売上高は約二十億円だったが、景気の低迷などで二〇〇六年には来客者約四万六千人、売上高も約六億八千三百万円に減少するなど経営が悪化していた。今年三月に発生した能登半島地震も追い打ちをかけ、館内の補修費として一千万円が必要となり、資金繰りが急激に悪化したという。
同旅館は、安政年間の湯治宿長助旅館が起源とされ、一九六六年に法人改組した。「花舞季(かぶき)」「光陽閣」の二館で構成し、客室数は八十四、大小の宴会場、七尾湾を一望できる大浴場などを備えている。十八日に同旅館で債権者向けの説明会を開く。