ヒッパレ(2014年01月27日) |
別府ツアーで大変世話になったクラブで、支えきれなかった我々は大いに反省しないといけない。
以下、忘備録で、大分合同新聞の記事を再掲します。
別府市「ヒットパレードクラブ」破産申請
[2014年01月21日 10:21]
別府市元町のナイトクラブ「ヒットパレードクラブ」の運営を手掛ける「窓」(同市)が20日、破産手続きの開始を大分地裁に申し立てた。申立代理人は生野裕一弁護士(大分市)。負債額は約4億5300万円(2013年9月期)。同店は当面休業する予定で、今後は未定としている。
帝国データバンク大分支店などによると、同社は1956年に創業し、73年に法人化。88年にヒットパレードクラブを開店した。専属バンドが50~60年代のアメリカンポップスを中心とした生演奏のステージショーを展開。歌や踊りを楽しみながら飲食ができる歓楽街の名物店として、別府の“夜の文化”を彩っていた。
この他、沖縄県内で居酒屋など3店舗を経営。2011年に分社化して各店舗を関連会社が運営する形態を取っていた。しかし観光客の減少や歓楽街全体の市場縮小もあり収益性が低迷。借り入れの負担も重く採算改善のめどが立たなかった。
お客さまにおわび 深瀬町子社長
深瀬町子社長は「これまでの負債に加え、4月の消費税増税に対応できる見通しが立たなかった。債権者、従業員、窓を愛してくれたお客さまにおわびの気持ちでいっぱいです」と話した。
「ヒッパレ」休業 料飲業者らから惜しむ声
[2014年01月21日 10:37]
泉都のネオン街から“ヒッパレ”が消える―。20日、運営会社の自己破産申請を受けて休業した別府市元町の「音楽博物館ヒットパレードクラブ」は長年、別府の夜をけん引してきた名物店。オールディーズの雰囲気が漂う店構えと生演奏は路地裏の風情にもなじみ、別府観光に欠かせない魅力の一つだった。料飲業関係者やまちづくりに取り組む人たちは「何とか再開してほしい」と口をそろえた。
エルビス・プレスリーにビートルズ、グループサウンズ…。懐かしくも色あせない音楽であふれるヒッパレがオープンしたのは四半世紀前。昭和40~50年代に一時代を築いたキャバレー「マンモスクラブ窓」を改装して誕生した。別府料飲協同組合の阿部紀佳顧問(73)は、店からあふれる長い行列をはっきり覚えている。「クラブ時代から夜の街を盛り上げ続けてきた。あれだけの大きな店がなくなるなんて」と信じられない様子。
市民はもちろん、近くにある竹瓦温泉とともに観光客の人気も高く、飲食店を営む女性(52)は「若者から高齢者まで男女を問わず愛されていた。ヒッパレに向かうお客さんで路地は華やいでいた」。バンドの一員としてステージに立ち、歌手になる夢をかなえた小川優子さん(35)=日出町=も「時代の流れかもしれないが、繁華街にはなくてはならない場所だった」と惜しむ。
別府観光がたどった歴史を伝える存在でもあった。文化や街並みを生かしたまちづくりに取り組むNPO法人別府八湯トラストの菅健一理事長(63)は「大型クラブ時代の間取りがそのまま残り、昔のにぎわいを感じられる唯一の店。夜のまち歩きでも立ち寄っていた。復活を願うばかりだ」と話した。